まえがき

 施設職員としての意識が欠けているのではないか。怖いのはマンネリ化であり、プロ意識をもって意欲的に働いているのか、施設外の点検など顧客まかせにしているのではないか。公用車も自車同様に扱ってもらいたいと2005年9月29日のマネジメントレビューで理事長から指摘がございました。
 7年目に入った当施設の職員も心が痛む思いで聞いていました。仕事量が増え、つい仕事に追われものの扱いが乱暴、乱雑になってしまうことがあるかもしれません。しかし仕事が忙しいからといって丁寧にできないわけはありません。それは時間をとることでもなく常に「意識」をもちさえすれば難なくこなせるはずです。初心に返り、緊張感をもち業務に取り組むことが望まれます。
 「研究レポート」作成にあたり、1977年大阪に無認可作業所「ひびき共同作業所」(1984年知的障害者授産施設ひびき作業所に改称)を開所して26年間障害のある人たちとその家族の要求が掲げられる時代をつくってきたさまざまな問題からの教訓を書き綴った「逃げたらアカン」(亀井勝著)に出会い、その教訓を現在の当施設の職員の業務への取り組み・心構えなど、今後どのように生かしていけるかを検証しようと思いレポートを始めました。


目次

まえがき
目次
第1章 顧客に対する心構え
(A) 指導上の3要素
1 「待つ」ということ
2 「抱え込む」ということ
3 「突き放す」ということ
(B) 顧客との関係づくり
1 エンパワーメントの関係 
2 顧客との良い関係をつくりだすには
第2章 施設職員としての心構え
(A) 施設職員の理念とは
1 業務について
2 施設の備品・公用車の管理について

第1章 顧客に対する心構え

 『施設には指導員という職種がある。作業指導員、生活支援員、職業指導員等がそうだが、この職種は決して「先生」や「教育者」であってはいけないと思う。「指導」とは字のごとく「指し」「導く」ことであって「教育」とは別の意味をもっている。上下の関係でいうと「教育」ということは、「教えられる」「育てられる」ことで上の位置にあり、そこには強要、押し付け、服従ということが伴う。しかし、指導には指導される人の自主性が存在しなければいけない。この自主性が存在しないのが「教育」だと思う。したがって施設の職員は「指導員」であっても「先生」ではなく「教育者」でもないのである。もし「先生」や「教育者」であるならば施設利用者は一生「被教育者」ということになるだろう。
 指導員が障害の重い人に接する場合、決して性急になってはならない。きわめて理解力が乏しいこと、それが障害なのだからよく理解して接していかなければならない。言っていることを理解しないといって大声を出してはいけない。かえって怖い存在となって関係を悪くしてしまう。暴力、体罰などはもってのほかで、まずきちっと接するとことから始め、本人がもっている要求を探り出す。多動性がきつく常に動き回ることしかできない人をじっとさせようとしても無理なことである。一緒に動き回りながら何を求めているかを探り出す。一緒に動き回りながら問いかけていく。決して指導員の思いを優先させてはならない。本人のお思いや願いを見つけ出しながら一緒になって実現させることが大切である。多動がなくてもなかなか指導員の言うことを理解できない人でも同じことが言える。これには相当の時間が要すると考えられる。しかしそれが仕事である。障害者施設の指導員とは出口を見つけることが非常に困難な仕事である。根気よくがんばるしかない。根気よくがんばれる指導員。競争する一般社会の中では存在できない仕事である。
 施設の指導員に大切な三つの要素がある。一つは「待つ」、二つは「抱え込む」、三つは「突き放す」ことで三位一体と言える。しかし実際にどこの場面でどれをということは非常に難しく間違った対応は許されない。そこで必要なのが指導員の集団論議である。しかし集団論議をおこなうには指導員が力量において対等でなければならない。ともすれば古参指導員の考えに流されたり経験主義に陥ったりする。ここで必要なことは、新しい指導員も古い指導員も対等に議論できる民主的な職場関係である。』

【亀井勝「逃げたらアカン」株式会社かもがわ出版、2004年3月31日、P175〜P176】

(A)指導上の3要素

1 「待つ」ということ

『指導員が障害の重い人に接する場合、決して性急になってはならない。きわめて理解力が乏しいこと、それが障害なのだからよく理解して接していかなければならない。言っていることを理解しないといって大声を出してはいけない。かえって怖い存在となって関係を悪くしてしまう。』

【亀井・前掲書・P175】

Q. 果たして私たち職員は顧客に対し、それができているのであろうか?
A.

 相談時間の場合には相談等を受け入れる態勢ができているので冷静に対応できるのではないか。しかし、問題は作業中など忙しくしているときの対応である。けんかをしている場合には、つい大声で怒鳴ってしまう。

注意したことに対し反抗的な態度をとられた場合には、つい感情的になり暴言を吐いたり、暴力的になり、力で押さえようとしてしまう。

作業中「次は何やりますか?」と尋ねられた場合、即座に「次は○○してください。」とつい指示をしてしまう。また、自閉傾向がある人に対し、十分な作業内容を説明せず、「○○やって。わかるでしょ。」などと一方的な指示を出してしまう。

一般企業の管理職ではない私たち施設職員の対応としては、「あなたは次に何をすればいいと思いますか。」と問いかけたり、障害の特性を踏まえた上で主体性を引き出すためにも「待つ」という姿勢が重要であり、本人のもっている要求を探り出すためにも強い忍耐が求められる。そのため「つい・・・」をなくすことは不可欠である。

2 「抱え込む」ということ

 『多動性がきつく常に動き回ることしかできない人をじっとさせようとしても無理なことである。一緒に動き回りながら何を求めているのかを探り出す。一緒に動き回りながら問いかけていく。決して指導員の思いを優先させてはならない。』

【亀井・前掲書・P175〜P176】

Q. 現在顧客の障害特性を把握した対応はできているのか?
A.

「多動性」それが障害であるのに「うるさい!」「静かにして。」など、短絡的な対応をしている。抑制された顧客は一時的に静かにすることはできるが、翌日には同じ光景が見られる。いや、現在も相変わらず同様なことが続いている。

 本人の思いや願いを一緒に見つけ出すこと。同じ目線に立ち、何を訴えようとしているのか、何がしたいのかを冷静に判断する力に欠けているのではないか。

3 「突き放す」ということ

 日常の業務に慣れてくると、知らず知らずのうちに楽な方法をとってしまうことがある。例えば、日中寝てしまい昼夜逆転している顧客に対し、夜間静かにさせるため本人の要求を満たすため「今日は特別だよ。」と要求を通してしまうことがある。それに味を占めた顧客はその職員に対し同様な要求し、だんだんとエスカレートしてくる。それに対し、その顧客からの訴えがあってもタイムスケジュール通り、訴えを聞かず対応した職員は、不安定になった顧客に対し時間をかけて根気よく説得することになる。いい迷惑である。職員間の意思統一がされてなかったといえば一言ですむのかもしれないが、少ない人数の遅番職員は取り組み方を根本的に見直す必要があるのではないか。長期的な視野で考えた場合「突き放す」ことも愛情である。

(B)顧客との関係づくり

1 エンパワーメントの関係

 『人類の発達の根源は「労働」にある。サルが二足歩行を始めたとき人間らしさに近づき、やがて前足が手に代り、その手で道具を作り使うこと。その発展途上において多くの道具を生み出して、機械を発明してきたのである。ここに存在するのはよりよくするための「工夫」である。私たちはサルではない。ならば、同じ人間としての「労働」への参加があるはずである。それを模索するのが実践である。
 しかしながら生い立ちからの種々の生育暦(生い立ち、環境、損傷)が原因でまだ働くことができない。どのような援助があれば働く人になり得るのか、その援助の目的や到達点が訓練目標である。社会参加を目的とすることがノーマライゼーションであり、ノーマライゼーションへの訓練がリハビリテーションである。働く人になるための「労働権」獲得もまたリハビリテーションといえるだろう。この場合は目的がはっきりと「就労」にあり、この援助のプロセスこそがリハビリテーションである。援助プロセスにはマニュアルはない。それは対象が「人権」のある人間であるから試行錯誤の繰り返しの中で構築されることであり、マンネリ、ワンパターンの実践は克服できない。また、ハウツーを求める人もいるが性急な実践を求めても答えは返ってこない。実践をするものは常に「どうすれば」と追求しなければならない。
 「到達目標」がない訓練は訓練とはいえず、拷問や奴隷労働になってはいけない。到達感は満足感であり征服感でもある。その喜びは誰しもが求めるものである。
 職員は一日の作業の始まりにその日の目標として提示しあう。その提示についても職員がするのではなく、できれば顧客から行えばどれだけ素晴らしいことか。職員が「そんなことできるはずがない」と思ったときその顧客は最高に不幸である。私たちの実践目標は「いつかはできる」「いつかはできるようになってもらう」ことである。一日が終わったとき、朝の目標に合わせてどうであったかを確認しあう、ここに最初の到達感が生まれる。この視点こそエンパワーメントにあるのではなかろうか。』

【亀井・前掲書・P165〜P167参考】

Q. 現在、職員と顧客の間にエンパワーメント関係が構築されているか?
A.

授産を例に挙げると、毎日毎日が作業に追われている状況が多く、殆どが指示を伴い上下関係の構図になっている。ごく一部の人に専門的な作業を頼みそれにだけ専念させる。その他の人には誰にでもできるような作業を指示する。まさに偏った形態であり、お互いの力を引き出しあえる双方向のエンパワーメントの関係とはほど遠いものになっている。職員と顧客の間に作業を考えるのではなく、職員と顧客との関係の意識を強くもち作業能力を高めるため、できないと思われる作業でも経験させ可能性を引き出すことになれば、職員・顧客共々達成感を味わうことができエンパワーメントの関係が築けていけるのではないか。急がば回れで、大きな一歩より確実な小さな一歩を踏み出させることも重要ではないだろうか。

2 顧客との良い関係をつくりだすには

 『顧客との良い関係をつくるといっても、それぞれが個性をもった人たちですので何がいい関係なのか一概にはいえません。ただ専門書を読んだり、研修会に出たり、人のまねごとをしても身につきません。日々の中で自分を見つめ、ひたすら人と真摯に向き合い、自分に個性を生かした関係づくりを続けていく以外ありません。職員と顧客といい関係をつくりだそうとする姿勢があればこそ、障害特性や介護技術など更なる専門知識を身につける必要性が生まれ、明らかに動機がそこにできる。特定の専門知識を得ること自体が目的ではない。動機が明確になり、それを活かす必要があるからこそ重要である。関係づくりをする中で必要性を感じて学び取った専門知識は間違いなく支援に役立つはずである。』

【さぽーと20059月号・P30〜P31参考】


第2章 施設職員としての心構え

 『難しいことにぶち当たる。そこで一度逃げると負けになる。歯を食いしばっても我慢しなければならない。これは宗教の教えにもある。例えばキリスト教は、難儀なことに遭遇した時は神が自分に与えてくれた試練である。この試練を乗り越える力を神の御加護によって与えられ自らを鍛え幸福を得ることができると教義している。
仏教でも弘法大師は同じような教義をしている。人生を生きていく中で、自らに与えられた試練を避けて通る人間ほど愚かな人間はいないということである。しかし施設の中ではどうだろうか。施設の給料はしんどい思いをしなくとも一応確保されている。無理をする必要がない。やってもやらなくても職員は給料に影響しない。しんどいこと、難しいこと、したくないことはできる限り後回しや先送りをする。

「後でします」

「この次にします」

「しておきます」

「これでできたためしはない。

できたかどうかを尋ねるとほとんどが

「忘れていました」である。

 忘れていましたではなく、したくなかったが本当の気持ちだと思う。なぜならすべて自分の利益に還らないからである。もし、それらの課題を消化することによって大金でも自分の懐に入ってくれば絶対に先送りはしないだろう。他のものを捨てておいてでもやってしまうだろう。自分の利益に還元しないことは先送りする。そんな職員がいる施設は発展しない。「仲間が主人公」と言ってきた理念性もなくなってしまう。』

  【亀井・前掲書・P180〜P181】

(A)施設職員の理念とは

1 業務について

 「しんどいこと、難しいこと、したくないことはできるだけ後回しや先送りする。」当施設にはそんな職員はいないと思うが、思い当たる職員は、いると思う。
 早番、日勤、遅番、宿直の仕事、授産、当番、通所バスの送迎、風呂当番、弁当の配達、公文学習の採点、ケース記録、作業評価、帰宅の準備、各委員会などの多くの業務がある。その業務の一部でも怠る職員がいると、周囲に迷惑がかかってしまう。
「私がやらなくても誰かがやるだろう。」と職員全員が思っていたら大変なことである。
あるとき、入浴時間に入浴当番を忘れていた職員があり、たまたま浴室に入った職員がのぞくと発作を起こした顧客が湯船に倒れ掛かったところを押さえ事なきを得たことがあった。「忘れた」では済まされないことである。
週末に帰宅される顧客の保護者が迎えに来られた際、居室などがゴミだらけであったらどう思うであろう。指摘してくれる保護者ばかりではないと思う。上司に注意されないからやらなくてもいいという受動的にはならず、顧客から収入を得ているという意識を忘れず能動的に動くべきではないか。「プロ意識」をもっていれば仕事は見えないところに転がっているはずである。

2 施設の備品・公用車の管理について

 施設の備品・公用車等はきれいになっているほうが良いと誰もが思ってはいるのではないか。その気持ちを前面に出すことは施設のものであるという「意識」を強くもつべきではないか。汚い、悪臭のするトイレ、そんなトイレ誰も入りたくないはずである。ジュースの空き缶、ゴミが散乱し、洗車していない車など運転したくないはずである。もしそれが気にならないというのであれば施設の職員にはふさわしくはない。なぜなら、それを顧客が見ているからである。毎日、お世話になっているものに感謝する心があれば改善されていくはずである。そのためのも、顧客と職員との関係だけではなく職員間との関係をより良いものにすることがすばらしい福祉サービスにつながるのではないかと思われる。


あとがき

 理事長の指摘を受け、7年目を迎えた現在、再び開所当初の原点に返り新鮮な気持ちで業務に取り組んでいかなければならないことを痛感し、思うがままパソコンに打ち込みました。えらそうなことも書きましたが、もちろん自分自身の含めた反省の意味もあります。
 「自立支援法」が実施される来年度に控え、福祉の世界も大きな変革期を迎えています。この厳しい状況においても、現在の顧客に対する思いは変えることなく取り組んでいきたいと考えています。この福祉業界が厳しいことはどこでも一緒です。今だからできるという逆転の発想をもち、みんなでよりよい「明朗塾」にして行こうではありませんか。がんばりましょう!