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  4. 理事長挨拶

今、いちばん伝承したいこと

社会福祉法人光明会 理事長 小 澤 定 明

声をかけ続けているか

 去る平成29年9月8日に「おざわ塾」が開催されました。これは、当法人職員で、障害者支援施設就職するなら明朗塾施設長の山本樹が、私のライフヒストリーを平成23年11月に研究レポートにまとめてくれたことをきっかけにして、数年前から法人職員に向けて私のいちばん大切にしていることを伝承する場として、企画実施してくれたものです。今年は光明会各事業所のサービス管理責任者クラスの職員数名に向けて語る場を用意してもらいました。
 その場で伝えたことは、社会福祉法人光明会の職員としてあらゆる行動の基本は「お客様(障害のある方)」に視点を置くべきであるというものです。
 お客様が光明会の各事業所の福祉サービスを利用してくださるからには、一人ひとりにそれなりの理由があります。障害があるがゆえに様々な言動が見られます。なかには残念ながら眉をひそめざるを得ないものも見受けられます。こういうときこそ、福祉職員として、お客様に視点を置くことが大切なのです。特に「声かけ」は非常に重要です。コミュニケーションが十分でないお客様もいますが、それでも「声かけ」は職員の心からお客様に向けての「気持ちの投げかけ」なのです。100回声をかけても動こうとしない人もいるでしょう。だからといって「声かけ」を止めてしまっては、お客様に向けた心が途絶してしまうのです。
 何度声をかけても無視されることもありますが、それでも声をかけよう。お客様に向けた「声」はお客様の耳にも届くけれども、声をかけた職員当人の耳にも届くからです。自ら発した声によって職員自身の心に何かが生まれるからです。
 「声かけ」によって、お客様に何らかの言動が生まれるばかりではなく、自分自身の心にも「気持ち」が生まれるのです。だからこそ、声をかけ続けよう。これはとても大切なことです。言っても通じない、でも通じなくても言うのです。このことを通じて、お客様に向けた自分の心が整い、自分の気持ちが深まっていくからこそ、お客様に向ける「声」の中身が変わり始めるのです。
 残念ながら、日常の支援現場を垣間見る限り、光明会職員のお客様への「声かけ」はまだまだ不十分と言わざるを得ません。支援記録に毎日、不調な出来事(作業活動に参加しないとか、入浴しない、食事をしない、服薬をしない、など)の記載が続くのはいったいどういうことなのでしょうか。
 私自身の心からの思いとして、光明会の障害福祉サービスを利用するお客様は、すべて自分の子どもとして「何があっても見捨てない」を信条としています。親子の縁は、と親の都合で切るわけにはいかないのです。社会福祉法人を設立して福祉事業を運営するとは、終わることのない絆を結ぶことなのです。光明会職員のなお一層の奮闘努力を強く期待して「おざわ塾」ではこのことを伝えたのです。

植物(農産物)にも声をかけ続けているか

 支援の基本はお客様に置くと言いましたが、障害者支援施設 就職するなら明朗塾の就労支援事業(授産事業)の主体作業科目は「ファーム(農作業)」です。「農業は(人の)生命を育むために(植物の)生命を育む営為である。人財育成に農業に関わることは不可欠である。」(2017年度光明会経営方針2-5-3 農業キャリアより)
 農産物もまた「声かけ」の対象としよう。植物は当然のことながら、言葉を発することはありません。喉が渇いても、暑くても、寒くても、苦しくても、声も出さずにじっとしています。その成長は、人間の生命維持のために食される運命にありながらも、不満を漏らさずにただ耐えています。この植物に対して、どういう「気持ち」を持てるか、がこれまた大切です。農産物は、一日たりとも同じではなく、常に変化成長しています。植物の変化は、毎日見ている者が気づくことができます。
 植物の変化に気づく力と、障害のある方に心を寄せる力は、同じです。「命を見る」とは、相手の痛み、苦しみを知ろうとし、分かろうとすることなのです。
 この日々の努力を怠ったとき、植物は死滅します。では、障害のある方はどうなるでしょうか。強い抗議の目をもってわれわれに食ってかかるでしょうか。ほとんどの場合、そんなことはありません。ただそこにいるだけです。何も言わずに。
 すべてが、職員の姿勢にかかっているのです。常に緊張感をもって仕事に取り組むことが求められているのです。しっかりと目を開けて見て、そして声に出して心からの声を届けよう。

おざわ塾では感謝を学ぶ

 光明会経営方針で、おざわ塾の意義を規定している項を紹介しよう。

 豊かな人生を生きる最も有効な秘訣は「与える」ことである(「人生において欲しいものを手に入れるためには、手に入れたいと思うものを与える側にならなければならない。感動の多い人生を送りたければ、感動させてもらう側にいては、本当の感動の半分も手に入れたことにはならない。感動させる側になって初めて、真の感動を十二分に味わうことができるのだ。このことは感動に限った話ではない。たとえば勇気を手に入れたければ、それをくれる人やものを探し求める側ではなく、人に勇気を与える側に。何かを身につけたければ、それを教わる側ではなく、教える側に。人から認められたいのなら、認められるのを待つ側ではなく、認める側に。そして、人から愛されたければ、愛されるのを期待する側ではなく、愛を与える側にならなければ、本当の意味で欲しているものを手に入れることはできないのだ。多くの者はそれらを、どうやって手に入れるかということばかりを考えている。しかし、本当に手に入れたいものであればあるほど、どうやって人に与えるかを考えなければならないのだ。」喜多川泰『賢者の書』 最後の賢者②より)。
 自分の持っている卓越した長所は他人に与えるためにある。自分の役割は、自分の長所を追求する先に見えてくるから、豊かな人生とは役割を分かち合う人生のことである。誰かに何かを与えると「もっと多く誰かに何かを与える能力と機会」が必ず自分に返ってくる。すなわち自分の役割が増すのである。
 そして、他のために尽くし与え続けることを「感謝の心で恩に報いること」と認識している人を「徳がある人」というのである。徳とは、報恩のことであり、人が追求すべき高い人間性の中心にある。そして徳がある生き方に挑戦する行動の習慣を身につけることが、周囲をよい人間に導くために不可欠である。ただ徳があることが事業における短期的成果を保証するものではないから、それが事業の成果に貢献しないかに見えることがあろう。だからこそ事業遂行能力と徳とを重層的に求める組織においては、励まし合い、助け合う風土が大切になる。
 法人創業者の理念を直接学ぶ「おざわ塾」は感謝を学ぶ道場の一つである。
(2017年度光明会経営方針3-1-1 徳性(感謝して報恩行動をする習慣より)

顧客焦点(顧客との関係づくりのあり方)

 つづいて光明会経営方針で、支援の基礎をお客様に置くことを規定している項を紹介しよう。

 アダム・スミスは「いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。」と述べている。(『道徳感情論』第一部 行為の適合性について 第一篇第一章 共感について冒頭 高哲男訳 講談社学術文庫)
 この言葉にあるように、お客様の幸せを喜べることがわれわれの幸せの本質である。お客様に張りのある人生を感じさせるための深い思考と実践の積み重ねが担当職員の人間性と人徳を高める。縁あって自分が担当するお客様を幸せにする道を自分自身でデザインする権限が法人職員にはある。
 このように自らの役割に誇りを持って行動する職員の美しい生き方(働き方)をお客様は尊敬するのである。その上で「お客様がまさに仕事をしている時(point of working, POW)」のタイミングに合わせてお客様にメッセージを発しよう。メッセージカード・手紙を渡そう。このときが手業を発揮する最良のときである。
 顧客ニーズに着目するとは、お客様との良好な関係を作ることである。関係が続くことがニーズに応えられていることの証明になる。
 さて、アンケートの実施や支援現場の中でのお客様の言動から何らかの支援の方策に気づくことがある。ただ、お客様からの不満・不安等の訴えの解消をそのまま支援策としてしまうのは短慮すぎる。お客様の声の背景とか、お客様が求めている真意をとらえるための、例えば再質問という関わりが展開されないうちに、思いついた支援策を採用して展開するのは性急すぎる。まず見立てである。
 お客様同士のけんか・トラブルを仲直りさせることを目的として話し合いの場を設ける、という支援は最適であろうか。意思疎通の機会が不足していたことから話し合いの機会を(指導員による外圧で)設定することで意思疎通が図られた(解決した)かに見えるので、このような支援をすぐにすることが大切だと考えがちである。しかし、なぜそのお客様は意思疎通を持たなかったのか(持てなかったのか)、なぜけんかという手段を選択したのか、その選択にはどういう主体性が見られたのか、けんか・トラブルがもたらす「成長の機会」「学びの機会」「可能性を外部に示しているもの」は何か、これらを十分に検討しないままに結論(仲直り)を求めることは成長の機会を奪うことになることに気づかなければならない。トラブル解決のために、もっと力のある第三者(お客様にとっては往々にして職員がその立場にある)の力を借りるという依存心を強めることになりはしないかと考えながら支援に当たることも必要であり、どのような変化・成長の可能性への挑戦をお客様に期待するのか、という見立てが不可欠なのである。
 職場では日常的に支援の検討がなされていなければならない。たとえ同僚とお客様の話題をしていても、またケース記録を読み返していても、自分ならばどうするか、今ならばどうするか、またはこの時の担当指導員はなぜこの支援方法を選んだのか、とその意図を探ったり、見立てをしたりしていかなければ、その時間は自分の責任を果たしたことにはならない。 (2017年度光明会経営方針3-5-1 顧客支援の見立てをデザインする責任と権限より)

自治の保障のあり方

 お客様の生活環境における自治の保障は、支援の基本をお客様に置くからには追求すべきことです。日常生活を送る上で適用させるルールは自ら決定権を持つということです。ただしお客様であっても「自分の生活しやすさのために」ではなく「ともに暮らす仲間たちの生活のしやすさ」のために自らが守るルールは何かを思考しなくてはなりません。
 と同時に最も気をつけなければならないのは、「自治」の美名に隠れた職員の「管理を楽にしよう」という思考傾向です。共に生活するお客様に確立を任せるルールは、お客様に適用されるだけでなく職員もそれを守る(つまり同様に適用される)ことが前提でなければなりません。イギリスで1960年代に精神科医療のなかで治療共同体と呼ばれる運動が起こりました。「医療スタッフも患者も同等という考え方です。各患者の入退院までも含めた病院内の決定は、病院の全体会議で決められます。」(北村俊則『精神に疾患は存在するか』星和書店 2017.6 p2)
 このことから学ぶべきは、お客様の自治を、単なる自治の名の下に管理する職員の手のひらの上で展開させるのではなく、お客様も職員もともに、互いに相手の生活のしやすさを尊重した生活環境づくり、そのために必要なルールづくりは、ともに話し合って決めなければならないのではないでしょうか。
 もちろんこのように全体会議で決めていくことは、自治そのものではなく、全体会議の中での職員の意見が優先されるおそれがあるという批判もまたあるでしょう。それでも全体会議が一つの「前提」であることは間違いがないのです。全体会議が存在する中でこそ、真の自治の芽が育つからです。このような関わり方をもって「支援の基本はお客様に置く」ことが実現されるのです。私が今、光明会職員にいちばん伝えたいこと、行動実践を追求していただきたいのは、このことです。