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原点回帰 人としての根を育む

大和教育研究所 小田島裕一

根の歌

 冬のない 春はない 冬のない 花はない
 いつか咲く 花を思い 今はただ 根を伸ばせ
 ああ、時が満ちて 花は咲く 晴れた日に
 土のなか 夢は眠る 夢のなか 花は育つ
 朝に咲く 花を思い 今はただ 根を伸ばせ
 ああ、冬を越えて 花は咲く 春の日に
 ああ、冬を越えて 花は咲く 春の日に
 咲き誇る 花を見れば 土の下の 根を思え
 凍てついた 冬を生きた 土の下の 根を思え
 咲き誇る 花を見れば 土の下の 根を思え
 凍てついた 冬を生きた 土の下の 根を思え

 根の歌は、缶コーヒー「ルーツ」の10周年を記念して、有名アーティストが集い、コーラスジャパンとして発表した歌です。2010年の10月に発売。その5ヵ月後に東日本大震災が起こりました。
 そう考えると、震災を経験して、私たちが「根の歌」のような心境になったというよりも、震災前からそういった意識になっており、震災でそれがより強固になったということが言えます。

 個人的な話しとなりますが、私は小学校六年生の時の、中川校長先生が大好きでした。
 なぜか?それは中川先生は、当時の校長先生としては、異色だったからです。
 先生の前任校のばんけい小学校は、自然に囲まれた札幌でも唯一の自由な校風の学校でした。
 自然とたわむれ、ルールに縛られない、そんな特別な学校から転勤してきた先生でした。
 独自の教育観をもたれていたと思います。
 校長室はいつも開放されていて、誰でも生徒は校長先生と話ができます。
 40年近く前の学校ですから、「校長らしくない」と教職員との意見の対立も多かったと聞きます。
 でも、小学生の私にとって、どこにでもいる厳格そうに見える先生よりも、優しく話を聞いてくれる中川先生は、素晴らしい先生でした。先生には、校長室で、「いつか外国に行きたい」という親にも言ったことのない夢を話していました。
 姉妹校交流でアメリカ・ポートランドに行きたかった。しかし、選考に落ち、がっかりしたこともありました。今思うと、児童会長が行くのが当たり前。しかし、わざわざ私を呼んでくれて、丁寧に落選の理由を説明してくれました。実に、生徒思いの先生でした。

 私は今でも、中川先生に卒業記念に贈っていただいた色紙を、部屋の壁に飾っています。
 山本有三氏の書いた「路傍の石」からの言葉です。
 主人公の吾一少年に、担任の先生が次のように語るシーンが有名です。
 「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない人生をほんとうに生かせなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか」
 中川先生は、この言葉を卒業生一人ひとりに向けて合計150枚近くの色紙に筆で書きました。
 私の人生は、この言葉で決まりました。人生の岐路に立つ時、魂の奥から自分に問いかけるのが、この言葉でした。だから、今でも中川先生の思いは、私の中に確実に伝わり、残っています。
 当時、たとえ職員室の先生達には、伝わっていなくても、私のような平凡で目立たない生徒の魂の中に一生言葉が、残っている。これが、「人を育む」ということなのではないでしょうか?
 時に、人生では一生懸命やっても、良いと思うことをしても、批判されることがあります。
 周囲に認められないため、自分を疑い、時には、周囲に迎合したくなることもあります。
 ただ、そんな逆境の時こそ、信念が試されるのです。
 打たれて苦しくなるから、だから、人は「何が真実か」を真剣に考え、もう一度、原点=根に帰ることができます。そして、原点を見つめなおすことで、「やっぱりやろう」と再び、己を信じ、挑戦する勇気が湧いてきます。
 まさに「根の歌」の境地に至ります。逆境の時こそ、人間は研ぎ澄まされます。
 中川先生は、己の信念である「自由で生徒を尊重する教育」を貫くか、信念を殺し、職員集団に妥協するか?当時、この瀬戸際にいました。だからこそ、私たちへのはなむけの言葉に、あの言葉を選んだのではないだろうか? 今は、そう思っています。
 私が、社会福祉法人光明会の皆様とご縁を頂いて、3年となります。
 お客様の言葉に耳を傾け、不安な心に寄り添いながら、挑戦する勇気と、未来への希望の種をまく姿をこれまでも、見てきました。
 まさしく、人間としての「根を育もう」とする熱い思いが、光明会の教育の根幹にあります。
 私は、就職するなら明朗塾に来るたびに、あの中川先生の言葉がよみがえってきます。
 「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かせなかったら、人間うまれてきたかいがないじゃないか?」
 お客様ひとりひとりの「一番」を発見しようと、時には叱咤、時には激励。
 一体となって働く職員の皆様の姿をみるたびに、思わず、自分自身の生き方、仕事のやりかたを、見つめなおします。
 今では、光明会は私にとって「人生を、仕事を、そして自分という存在を見つめ直す場」となっています。

小田島 裕一(おだじまゆういち)

http://www.yamato-kyouiku.jp

 1968年札幌生まれ。札幌で中学英語教師として15年間、教育現場で「人づくり」に尽力する。2006年から2年間、ウガンダ共和国へJICA野球隊員として派遣される。「自分さえよければいい」という現地野球選手に、野球を通して、日本では当たり前である「躾」を6ヶ月で定着させ、劇的なチーム変革に成功。「国境を越えた人づくり」の経験から、「時を守り、場を清め、礼を正す」日本人がもつ美しき習慣が、人間形成に大きな影響を与えることを実感。「日本人という生き方」を大切にしていることが、素晴らしい人生を作る礎になると確信。現在、「立志塾」を主宰し、「志のある人材」を、教育界、経済界に多く輩出している。