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公文式学習の本義

社会福祉法人光明会  CEO 内 藤 晃

 公文式学習のプリント採点の目的は何か。出来不出来の評価に留まるならば電子化(スキャン読み取りによる自動採点)が最適であろうし、そうすれば採点者の実務は激減しよう。
 当然ながらそうではない。採点の意義とは、学習者の「可能性への挑戦」が続いているか、を指導者が確認することにつきる。実のところ採点業務を通じてプリントの紙面からその結果を読み取ることにとどまってはならず、むしろ教室内における学習者の態度・立ち居振る舞い、言葉遣い、表情、息づかいなど全身からにじみ出るものから直接読み取らなければならない。あくまでも学習者の態度が基にあり、その結果がプリントに現れるのであるから、基となる学習者の態度にリアルタイムで接することが本当の意味での「採点」なのである。だから後日の採点、教室外での採点は成り立たない。
 さらに言えば、学習者の態度(もちろんプリントから読み取れることをも含めて)からもっともっと可能性発展への挑戦を引き出すにはどうするのか、という学習支援の看立て(みたて)と方針(公文式学習では「見通し」という。)が思いつかないようでは指導者としての役割を果たしていないことになる。このことの自己点検は「採点がおっくうであると感じていないか」、「教材セットが面倒であると感じていないか」を自らに問うことで行うのである。
 だれもが、学習支援を継続する中で疲れる。しかしその疲れを癒やすのは、学習者の挑戦する姿勢をその目で直接見たり、学習者の可能性の無限性(または展開性)を感じたりすることによるのだ、と信じなければならない。「採点に追われている」のではない「可能性を見極めようとする目と意識が失われている」のである。

 看立て(みたて)に関しての留意点をひとつ。支援に看立てを持たないとどうなるかということ。
 アンケートの実施や支援現場の中でのお客様の言動から何らかの改善点に気づくことがある。実は、お客様からの不満・不安等の訴えの解消をそのまま改善策としてしまうのは、短慮すぎる。お客様の声の背景とか、お客様が求めている真意をとらえるための「再質問」が展開されないうちに、対応策を立案するのでは性急すぎるからである。
 たとえば、お客様同士のけんか・トラブルを仲直りさせることを目的として話し合いの場を設ける、という例で考えてみよう。意思疎通の機会が不足していたことから話し合いの機会を(指導員による外圧で)設定することで意思疎通が図られた(解決した)かに見えるので、このような支援をすぐにすることが大切だと考えがちである。しかし、なぜそのお客様は意思疎通を持たなかったのか(持てなかったのか)、なぜけんかという手段を選択したのか、その選択にはどういう主体性が見られたのか、けんか・トラブルがもたらす「成長の機会」「学びの機会」「可能性を外部に示しているもの」は何か、これらを十分に検討しないままに結論(仲直り)を求めることは成長の機会を奪うことになることに気づかなければならない。トラブル解決のために、もっと力のある第三者(お客様にとっては往々にして指導員がその立場にある)の力を借りるという依存心を強めることになるのではないかと考えながら支援に当たるべきであり、どのような変化・成長の可能性への挑戦をお客様に期待するのか、という看立てが不可欠なのである。このような視点を身につけることが指導者にとっての可能性への挑戦でもある。