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三度、参戦の夢を

社会福祉法人光明会 理事長 小澤 定明

 ホンダは、2008年12月5日、今シーズンを最後にF1世界選手権から撤退すると発表しました。
 創業者の本田宗一郎が決意し、日本で初めて1964年にフォーミュラワン(四輪自動車レースの世界最高カテゴリ)に参戦しました。第1期といわれる64 年~68年に続いて83年に再度参戦したときは日本人初めてのF1レギュラードライバー中嶋悟が話題となり、92年までの第2期においては2チームにエンジンを供給するなどホンダエンジンの技術が世界最高峰に達した時期でした。第3期は2000年より「BAR」との共同開発でF1に参戦し、06年のハンガリーGPでは優勝を記録したものの全般的にホンダらしくない低迷した戦績でした。
 ホンダの福井威夫社長は、今回のF1撤退決定は「サブプライム問題に端を発した金融危機や実体経済の急速な後退などによりビジネス環境が急速に悪化し、この市場環境の悪化に対し、迅速かつフレキシブルに対応をしてきたが、将来への投資も含めた経営資源の効率的な再配分が必要との認識から」と説明しています。
 この福井社長の記者会見の模様がニュース等で大きく報道されるなか、撤退を残念に思う声が多く採り上げられていました。ある意味でホンダのF1参戦は、日本人のチャレンジスピリットの象徴でしたから当然といえば当然かもしれません。
 しかしあえてここでは、ホンダは三度、私たちに「今度はいつF1に参戦するのだろう」という期待と夢を与えてくれた、ととらえたいと思います。
 実は、64年当時、ヨーロッパの自動車文化の花であったF1レースに日本人が参戦することの無謀さを笑う声が本田宗一郎には向けられていたのです。また本田宗一郎が経営の一線から身を引いた後に取り組まれた第2期も、世界的なオイルショックに続くアメリカの排ガス規制をホンダが世界に先駆けてようやくクリアした時期に迎えているのです。いずれも誰もが「F1参戦の好機」などと考えてもいない時期にチャレンジしているのです。これこそが本田宗一郎から始まるホンダのDNAではないかと思うわけです。
 社会福祉法人光明会は、障害者自立支援法に対するいろいろな見直し論議が進むなかにもかかわらず敢然と新制度下の事業に取り組み、一定の成果を求めています。
 ホンダとはまったく比較にならないほどの規模の企業ですが、だれもが好機ととらえる時期の到来をのんびり待つことを求めないという点においては、共通しているのではないかと内心自負しています。

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